リノベーションまちづくりの現状と課題

1.リノベーションまちづくり前夜
 2010年7月、北九州市は地域再生プロデューサーの清水義次氏を招いて小倉家守構想検討委員会を発足させた。北九州市小倉地区中心市街地は、リーマンショック以後の景気低迷で、企業の支店・営業所は福岡市に移転し、北九州市のオフィスビルの空洞化が目立つようになり、通行量の減少により商店街の空き店舗が増加し、シャッター通り化する兆しが見られたためであった。家守とは、江戸時代における長屋の大家の呼称であり、借地管理、家賃徴収、店子の生活面の世話など地区のマネジャー的な役割を担っていた存在である。清水義次氏は、それを現代版家守として、行政機関、地域住民などと連携し、建物管理や入居者支援などにより総合的な地域支援を行うことで、北九州市小倉地区中心市街地の地域再生ができないかと考えていたのである。
 2011年3月、検討委員会の議論及び2回の小倉家守講座の開催を経て、小倉家守構想は策定された。小倉地区中心市街地の経済活動低迷の根本的な原因に迫りつつ、地域再生の解決方法として、小倉地区中心市街地においてデザインやコンサルなどの都市型産業の集積を促進させることが重要だとの認識が示された。具体的にいえば、遊休不動産をリノベーションの手法により活性化させることにより、質の高い雇用を創出しつつ産業振興とコミュニティの再生を図るというのものであった。
 2009年12月、魚町商店街内にある私所有の地下1階地上5階建ての中屋ビルの核テナントが退去した。1階から4階まで37年間賃借してもらっていた婦人服店に代わるテナントを誘致しようとしたが、ビルが古く旧耐震基準であったためや魚町商店街自体のヒエラルキーが下がっていたためテナントはなかなか見つからなかった。2010年8月、先代社長の父が亡くなり私はフリーハンドで、自社ビルの再生に取り組めるようになった。
 2011年10月、父が生前地下1階で経営していたゲームセンターの店長の息子で夏休み期間中アルバイトにも来ていた一級建築士の嶋田洋平氏が帰省し、メルカート構想なるものを提案してきた。それは、中屋ビル東側の魚町サンロード商店街に面した1フロア40坪木造2階建ての建物のリノベーションプランだった。RCの建物に木造の建物が接続しているのは構造上・防火上よくないので建替えようと、テナントが退去するままに任せて新規のテナントを入れてなかった。全部テナントが出てしまったときは、魚町サンロード商店街の通行量減少、景気低迷のため建替えたとしてもテナントが入居する見込みがなくなり、都合15年間ほど空き店舗として放置していた物件だった。
2.イノベーションまちづくりとメルカート三番街
 「リノベーション」とは、建築物・空き地を活用して対象となる建築物・空き地の物的環境を改修などによって改善するのみならず、当該建築物・空き地に対して新しいライフスタイルの提示、新産業や雇用の創出、コミュニティの再生、エリアの波及効果などの新な価値を同時に組み込むこと。但し、建築物・空き地には公共物・公共空間も含まれるとされる。
 「リノベーションまちづくり」とは、以下のことを行い地域の再生すること。
(1)今あるものを活かして、新しい使い方によりまちを変えること。
(2)民間主導でプロジェクトを興し、行政が支援する形で行う民間主導の公民連携が基
  本であること。
(3)空間資源と地域資源を組み合わせて、経済合理性の高いプロジェクトを興し、地域
  を活性化すること。
(4)補助金に出来るだけ頼らないこと。
(5)最終的に都市・地域経営課題を解消することを目標とすること。
 嶋田洋平氏のリノベーションプランに賛同して、メルカート三番街の建設を決めた。建替えるのではなくて、今ある建物の価値を活かしつつ、用途や機能を変更して建物の性能を向上させるというリノベーションという発想を用いて改装のプランを練ってもらった。基本コンセプトとしては、デザイナー・クリエーターのためのインキュベート施設とし、敷金・礼金なし、テナントは45歳以下、小分けして賃貸することを内容とした。嶋田洋平氏には、単に設計者としてではなく総合プロデューサーとして、テナントリーシングから手伝ってもらった。後に北九州家守舎の共同代表となるインキュベーションカフェのオーナーの遠矢弘毅氏に依頼してテナントを集めてもらい、各テナントに必要な面積・払えるだけの賃料を確認して、各テナントの床面積を決定した。私自身の面接を経て賃貸借の仮契約を締結してから、改装工事に入った。改装費は、5年で回収できるだけしか投資しなかった。利回り20%であって、テナント先付の上に、10店舗に賃貸しているので、一度に退店するリスクはなく、リスクも管理されたいた。2011年当初から改装に入ったメルカート三番街は、同年6月1日完成した。2011年8月の第1回リノベーションスクール@北九州の開催に先立ってメルカート三番街がリーディングプロジェクトとして完成・営業していたことは、その後の小倉魚町におけるリノベーション思想の伝播、水平展開にあたって非常に重要なことであった。
3.リノベーションスクール開催
 清水義次氏の発想でリノベーションまちづくりのエンジン役として西日本工業大学小倉キャンパスにおいて、第1回のリノベーションスクール@北九州された。第1回及び第2回は、建築系の一般社団法人である「HEAD研究会」が、国土交通省の第三の公共という交付金を得て開催したものであり、第3回目以降は、北九州市の交付金を得て、私が代表を務める「北九州リノベーションまちづくり協議会」を主催者として、自社ビルである魚町三番街中屋ビル3階で2017年3月まで合計第12回まで開催された。第10回目以降は、北九州市の交付金のみならず、全国にもリノベーションまちづくりを拡大するようにとのミッションを受けて国土交通省の「民間まちづくり活動促進事業費補助金」の交付金を受けていた。
 リノベーションスクール@北九州とは、小倉魚町地区を中心とした遊休不動産を題材に全国から受講生を募集して、ワークショップ形式で4日間に渡り、遊休不動産の再生プランを作成し、最終日にオーナーにプレゼンテーションするというものである。プレゼンの結果、オーナーが再生プランを気に入ってもらえば、そのまま投資してもらって再生プラン通りに遊休不動産を再生するが、ブラッシュアップが必要な場合、別途設立したまちづくり会社の「株式会社北九州家守舎」が再生プランを練り直し、投資も含めて再提案することになる。
 各ユニットは、8~10名で構成され、以前は4ユニットで行われ、国土交通省の予算が投下された第10回目からは8ユニットに増やされ、毎回50~100名の受講生が全国各地から集まってリノベーションスクールに参加していた。リノベーションスクール参加後はそれぞれの故郷に帰って、リノベーションスクールで得たマインドとスキルを活用して自らのまちでまちづくりを続けていくことになる。
 リノベーションスクールは、4日間にわたって開催され、その流れは以下の通りある。
 初日:遊休不動産のあるスモールエリアをサーベイしながら、直感だけでなく定量的・定性的にエリアの再定義を行う。その上で、遊休不動産の利用の構想を考える。
 2日:遊休不動産の利用の構想を深め、支出・収入を考慮しながら、事業計画を立案し、その事業にふさわしいキャッチコピーを考える。
 3日:遊休不動産の再生案をエリア価値を高める事業計画案へと昇華させる。誰がリスクをとり、誰が実際の事業を行うのか固有名詞を当てはめていく。同時に公開プレゼンテーションの流れを考える。
4日:魅力的で説得力のあるプレゼンテーションを作成し、ユニットが一丸となって公開プレゼンテーションに挑む。
4.リノベーションの事例
 次にリノベーションスクールの題材に挙げられて、実際にリノベーションされた事例をいくつかご紹介する。
(1)MIKAGE1881
 15年間空き店舗だった松永ビル5階の50坪ワンフロアをリノベーション。オーナーは投資せず、当初の賃料、30万円の家賃を5万円に値下げしてもらい、まちづくり会社でかる株式会社家守舎が内装を約400万円投資。北九州市で最初のシェアオフィスをオープンした。設備は最低限にし、入居者で自治会をつくり、フロアを管理している。シェアオフィスの総家賃は35万円、3分の1ルールを適用してオーナーに支払っている家賃の5万円を控除し、30万円を3等分して、3分の1は、北九州家守舎の内装投資の回収資金、3分の1は、オーナーに下げてもらった家賃の補填として支払い、残りの3分の1はまちへの再投資の資金としている。この事業の成功により、北九州市には数々のシェアオフィスが設立されるにいたった。
(2)三木屋カフェ
 30年以上、空き家だった古民家をリノベーション。全面は魚町銀天街に面する店舗、奥はオーナーの住居だった。中庭を挟んで2棟が向かい合っていたが、1棟は雨漏りで天井、床が落ちていた。この1棟は、北九州市の老朽家屋解体補助金を活用して解体し、残った古民家をリノベーションスクールの題材に挙げてもらい、オーナー自ら投資して当初はレンタルスペース魚町の庭としてオープン。あまりに感じがよく評判もよいので、オーナー自らがカフェとして再オープンした。魚町の隠れ家的な存在で、TV・雑誌の取材は基本的にお断りしているがそれでも満席の状態が続いている。
(3)ポポラート三番街
 魚町三番街中屋ビルの2階のフロア、約100坪をリノベーション。ものづくりのまちである北九州市の特色を活かし、手作り作家のための工房・店舗として再生した。普段は、家で小物を手作りしている主婦層をまちなかに出てきてもらうことで、魚町商店街の起業者を増大させること目的とした。1坪~2坪程度に小さく小分けされた店舗に約20組の新規起業者が入居、まちにでて来ることで刺激もあり、同業者とのコラボなどでクリエイションも高まるという仕組み。定期的に有名デパート出身のコンサルタントを招いて、接客・ディスプレイなどの指導もしてもらっている。クリエイションの高い人は、東京・大阪・福岡などの有名デパートで展示会なども開催できるようになっていた。独立して小倉駅ビル内に店舗を新たに構えた店舗もあるなどプチ起業のインキュベーション施設としての役割も充分に果たしている。
(4)タンガテーブル
 20年近く空き店舗だった、北九州市の台所旦過市場に隣接したホラヤビルの4階150坪をリノベーション。国土交通省の協力を得て既存不適格証明書を取得して、建築確認済証のないビルの用途変更を実施。バックパーカーなどが気軽に泊まれるホテルを開業。新鮮・安全な旦過市場の食材を使った料理を提供し、宿泊客に喜ばれている。内装費については、一般財団法人民間都市開発推進機構の出資を得ている。民都機構は本来なら、東京スカイツリー・六本木ヒルズのような数百億円規模の優良な民間都市開発事業を支援するものなのだが、タンガテーブルのような小規模事業に出資したのはこれが初めてだそうだ。
(5)comichi香春口
 魚町銀天街から、南に歩いて約8分程の距離に中島・香春口エリアはある。昔は小倉炭鉱の住宅があったなどして、古い木造住宅が立ち並んでいた界隈だった。近年になって地域の利便性が見直されて、マンションが数多く建設されるようになり、子どものいるファミリー層が多く住むようになってきた。それでいて、おしゃれなカフェや雑貨店はほとんどないという状況だった。映画館の店主が持っていた10軒長屋、それは炭鉱労働者などが立ち寄る居酒屋ばかりだった建物をリノベーション。子育てがいったん終了した若い女性が営業する美容院、鍼灸店、カフェ、雑貨店、英語教室などに賃貸することにより、地域の女性が気楽に集まるコミュニケーションスポットが完成した。
5.国家戦略特区制度を活用したエリアマネジメント
 リノベーションまちづくりの発祥の地である小倉地区中心市街地内に魚町サンロード商店街はある。1951年に公道上に初めてアーケードを建築した魚町商店街のすぐ東隣に魚町サンロード商店街はあり、全長108m、幅5.5m、店舗数35店舗。アーケードは、1980年に建築された。私は、2001年より魚町サンロード商店街協同組合の理事長をつとめている。
 魚町サンロードアーケードは、商店街組合費が低額であったため改修費が予算に計上されたおらず、建築以来1度も改修が行われていなかった。2010年代になると屋根材は薄汚れて、商店街内は昼なお暗く、看板灯はサビついていていつ落下してもおかしくないような状況だった。
 2013年8月の総会において、アーケードの撤去を決議した。撤去費用は、まちづくり補助金と銀行借入でまかなった。返済資金は、基本的にアーケード撤去によって不要となったアーケードの電灯代を充てることにした。
 アーケード撤去後のイメージを明確にして、「歩いて楽しい公園のような通り」というキャッチフレーズを決定した。また、5回のワークショップを通じて組合員全員の意思を統一化した。その後、アーケード撤去を行い、カラー舗装の整備と公道の緑化を北九州市にお願いし、その管理運営のために公道上で社会実験的にイベントを実施して収益活動を行いたいと北九州市に要請した。同時に魚町サンロードの新しいプラン「魚町サンロードカルチェラタン構想」を発表した。これは、パリのセーヌ側河畔5区・6区のような若者が集う、カフェや雑貨店などのあるにぎやかでおしゃれなイメージを表したものである。
 しかしながら、月1回程度イベントを行うだけでは十分でないので、北九州市が2016年3月に認定された「国家戦略特区制度」を活用して、規制緩和により、道路空間上でのエリアマネジメント事業として毎日マルシェ・夜市開催するようにした。これによる出店料収入をアーケード撤去に伴う返済資金の足しにした。
 実際の管理運営は、魚町サンロード商店街協同組合と鳥町四丁目町内会の有志で構成する「株式会社鳥町ストリートアライアンス」という会社にゆだねた。これは、組合・町内会ではできない収益活動を容易にすること、意思決定を迅速化して、リスクを遮断することが主たる目的である。
 また、魚町サンロード商店街に火事による空き地が発生して、地主が建物の復旧をあきらめたことにより、商店街組合が定期借地して、「会社会社鳥町ストリートアライアンス」がコンテナを設置して、「株式会社北九州家守舎」がコンテナカフェを管理運営するという方式をとった。
 この事業は、補助金によって設置した公共施設に近い存在の商店街アーケードを補助金を活用して撤去してその費用をまかない、規制緩和よって民間団体が公道を管理するという新しいシステムを構築したのである。
 また、アーケード撤去後従前と同額の組合費を徴収し、まちづくり活動・イベント・緑地部分を含めた公道の維持管理を行うなど、日本版BIDシステムを構築し、エリアマネジメント活動を行っている。
6.リノベーションまちづくりの現状と課題
 このようにリノベーションスクールを中核として魚町商店街地区の活性化を行ってきた。
その結果、2010年に魚町商店街の通行量が11,006人だったものが、2014年には、14,221人と3割近く増加し、その後も11店舗が消失する大火災があったとはいえ順調に回復基調にある。
 小倉中心都市部だけなく、リノベーションスクールの卒業生を中心に若松地区、門司港地区にもリノベーション物件が出来上がっている。また、2017年1月段階で、全国にリノベーションスクールは広まり、32ヶ所で開催されている。
 リノベーションのまちづくりの課題としては以下の点があげられる。
(1)行政からの長期にわたる継続した支援が難しい
 北九州市でもそうであったように如何によい事業、成果を出している事業であっても行政の常で5年を超過して一つの事業に支援する、補助金・交付金を支出するのは難しいこと。また、同様にどんなに優秀で関係者とのネットワークを持っている行政職員であっても5年を超えて一つの部署にとどまらせるのは難しいことである。リノベーションまちづくりは、単にリノベーションスクールを開催すればよいのではなく、自治体の都市計画、まちづくり会社が一体となって、最初にシンポジウム・サミットを開催して場の雰囲気を温めておかなければならない。この作業にどうしても1~2年はかかるのだ。
(2)不動産オーナーのキーマンが見つからない
 リノベーションまちづくりには、自分の所有する遊休不動産を低額で提供してくれる不動産オーナーの存在が不可欠である。しかし、なかなか公共心あふれ、リノベーションまちづくりの大義を理解してくれる不動産オーナーは、存在しない。それを探すため、リノベーションスクール開始前にセミナー・研修会などを開催することが必須だ。
(3)リノベーションまちづくりは、商店街自体の再生・活性化ではない。
 リノベーションまちづくりは、遊休不動産の再生を本来目的とするものであって、直接商店街自体の再生・活性化を目指すものではない。それそれのリノベーションは小規模であって、小さいエリアにいくつかのリノベーション物件が出来上がり、その成果がでるまでは手間も時間がかかるし、大規模再開発のような起死回生の再生プランでもない。
 北九州市小倉地区中心市街では、リノベーションまちづくりの手法を駆使しながら、商店街の再生・活性化を行ってきた。通行量も増え、2017年7月の商業地地価調査では、20数年ぶりに上昇に転じている。これらの要因により、魚町商店街地区では、リノベーションまちづくりによってブレイクスルーして、空き店舗が出ると外部資本の不動産会社が買い取り、解体して新たなテナントビルを建築するという新たなステージ・フェイズに転じている。
 今後は、毎年1%づつ定住人口が減少する北九州市において、魚町商店街地区はインバウンドを含む交流人口を増やしながら、リノベーションまちづくりを進化させ、さらなる再生・活性化にまい進していきたい。

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