魚町サンロード商店街のエリアマネジメント事業

        「魚町サンロード商店街のエリアマネジメント事業」
          ~カルチェラタン構想から国家戦略特区へ~

1.アーケード建設と撤去
 魚町サンロード商店街は、JR小倉駅から南に徒歩8分、南北に伸びる全長約108m、幅員5mのアーケード商店街。呉服店、洋服店、飲食店など約35店舗で構成されていた。
その西隣には、1959年に日本で最初に公道上にアーケードを建設した魚町商店街という北九州市小倉の最大の繁華街である商店街がある。
 魚町サンロード商店街は、1978年に協同組合を設立し、アーケードを1980年に総工費約1億2000万円で建設した。当初は、魚町サンロードだけでなく、その北側にある商店街も含めてアーケードを建設し、JR小倉駅までつらなるアーケード街を建設する予定だったが、北側の商店街では、病院長など反対する人もいてアーケードは連結されず、魚町サンロードのアーケードが孤立する形になっていた。
 1980年に建設したアーケードは、一度も改修されず老朽化して全面的な改修が必要となっていた。私は、2001年に魚町サンロード商店街協同組合の理事長に就任し、老朽化したアーケードをどのようにするか、その矢面に立たざるを得ない立場にいた。消防設備は、街内放送設備を含めて全く不良で、その改修だけでも100万円を超える費用が必要だった。毎年の消防署の消防設備点検では、アーケードを撤去する予定だから、消防設備を更新しても無駄になるだけだからと言って改修を待ってもらっていた状況だった。
 副理事長以下に相談したとしても、消防点検を受けたことのない人ばかりで、消防署からの指示書を見せたところで、その通りにしなければならないと慌てふためいてしまい、借金してでもした方が良いと言う始末だった。銀行から借金したとしても返済原資もないのだ。
 ある時、アーケードの電灯が一基だけ切れた。その前の組合員が私の事務所に怒鳴り込んできた。「今すぐ、電灯がつくようにしろ!」魚町サンロードは、祇園祭り前の7月と年末の12月の2回だけ、まとめて切れた電灯の交換修理を行っている。電灯の交換のためには高所作業車(バケット車)が必要で、その費用だけでも10万円近くがかかるから、電灯が切れる都度修理するのは無駄なので、年2回で勘弁してもらっていると回答しても、「勘弁ならん、店の前が暗いので今すぐ電灯を変えろ」と言って聞かないのだ。やむを得ないので、1箇所だけのために高所作業車を呼んで、電灯交換をした。
 2012年12月、リノベーションまちづくりのリーディングプロジェクトであるメルカート三番街の隣接地の空き家が漏電により出火した。空き家は全焼し、メルカート三番街も半焼した。この時の火事では、アーケード設備である連結送水管も使い、消防隊が、必死に消化活動している最中、アーケードの横樋を通じて、自分の店の前から水が落ちてくるので、消火活動をやめろと言ってくる組合員もいた。
 人災がなかったので消防設備の不備は問題にされなかったが、万が一の時は、理事長たる私の責任問題なるところだった。そういったこともあり、アーケードの撤去を進めることを決心したのだった。

2.「株式会社鳥町ストリートアライアンス」の設立
 組合は、組合法の縛りがあり、組合員の平等性が問われることや収益事業ができない。
魚町サンロード商店街内の手作り作家のマルシェイベント「よりみち市」を開催するにあたり、実行部隊として、集金やのぼり、チラシの作成母体としてのまちづくり会社が必要となり、「魚町サンロード商店街協同組合」と商店街有志4名がを10万円づつ共同出資して資本金50万円で株式会社鳥町ストリートアライアンスを設立した。
 設立にあたっては、以下の観点からまちづくり会社を設立することで魚町サンロード商店街協同組合の承認を得た。
(1)組合とまちづくり会社間のリスク遮断
(2)組合員以外への事業発展の可能性の追求
(3)迅速な意思決定の実行
 「株式会社鳥町ストリートアライナンス」の設立により、毎月第3日曜日に「よりみち市」を開催することが可能になった。それが後に述べる国家戦略特区の認定につながっていくのだ。そして、現在は北九州市と連携して、都市再生推進法人の認定を受けるべく活動を続けている。

3.「クッチーナ・ディ・トリヨン」の運営
 前述の火事により魚町サンロード商店街内に約20坪の空地ができた。地主に相談したところ、高齢でもあり子息も別の会社に勤めているところから空地に建物を再建するつもりがないことが分かった。商店街内に発生した空地を有効利用するため一旦商店街で地主より定期借地し、それをまちづくり会社の「株式会社鳥町ストリートアライアンス」に転貸し、同社が政策投資金融公庫から設備資金を借り入れ、コンテナを購入して空地に設置して、それを貸し出すことにした。商店街組合では、空地を賃借して融資を受け、建物を建築して運営するということは事実上不可能だが、まちづくり会社の存在によりそれが可能になった。
 コンテナカフェの運営は、北九州市で全国に先立ってリノベーションスクールを開催し、遊休不動産のリノベーションによる再生をすすめる「株式会社北九州家守舎」に依頼した。賃料は、月15万円と売上高の10%の大きい方。地主への地代月10万円と政策投資金融公庫への返済月5万円は、最低保証家賃によって支払うことが可能。そして、売上が上がれば上がるほど賃料も高くなるので、商店街の人もコンテナカフェの売上に貢献する意欲が増してくるという仕組みである。「株式会社鳥町ストリートアライアンス」に利益が積み重ねられれば、協賛金などの形で「魚町サンロード商店街協同組合」に還流して、それがアーケード撤去の銀行借入の償還費用の一部に充てることになる。
 「株式会社鳥町ストリートアライアンス」への融資実行にあたっては、自己資金が2割程度必要だった。そのため増資をして100万円を集め、それを元に400万円の融資を求めるというスキームを実行した。増資にあたって、北九州市のまちづくりに意欲を持つ北九州市役所職員にも呼びかけて出資を求めた。しかしながら、北九州市職員服務規定によば、非上場会社の株式を所有することが職務との関係で問題になる恐れがあった。出資した職員は現在の職務とは全く関係ないとはいえ、今後関係部署に移動する可能性もあって、同株式を所有するべきではないということになり、私自身が同株式を全て買い取ることにした。但し、このような形での市職員の増資引き受けは、他都市では問題にされていないとこも多い。

4.アーケード撤去決議
 1980年にアーケードを建設した当時は、アーケード内に設置した看板灯の広告収入があって、それを積み立てておいてアーケードの改修費にあてるという計画だったようだ。人通りが減少して広告収入も入らなくなり、私が理事長を引き継ぐ時には、商店街組合の余剰金残高は、100万円を切るような有様だった。4機の看板灯がアーケード内に設置されていたが、老朽化により地震が発生すればいつ落ちてもおかしくないような状況だった。看板灯を1機撤去するには、100万円かかるという見積書が届けられていた。
 アーケードの屋根材ポリカーボネートも老朽化して、薄汚れて太陽光を通しずらくなり、昼間でもアーケード内は薄暗いままだった。屋根材には、うっすらとヒビがはいり、いつ落ちてくるか心配になっていた。近隣の商店街たる「魚町グリーンーロード商店街」は、屋根材がヒビ割れて実際に落ちてきた。「魚町グリーンーロード商店街」は、国からの補助金を得て、屋根材を改修した。しかしながら、屋根材の改修だけでは、補助金が下りず、アーケード支柱も耐震補強も含めて改修せざるを得なくなっていた。
 アーケードを改修するための費用は全くなく、空き店舗も目立つようになり、10店舗近く3割間近になっていた。
 アーケード撤去に至った要因は以下の通りだ。
1.アーケードが単独・連結されていない。
2.元々維持管理費が賦課金に組み込まれていない。
3.修繕積立金が皆無。
4.建設以来一度も大規模改修されていない。
5.空き店舗の増加による賦課金の減少
6.老朽化が甚だしく、改修費が過大。
7.理事長の引き受け手が皆無。
8.撤去費にも補助金が適用になった。
9.改修費と撤去費が同額。
⒑.アーケードを維持するには賦課金を3〜5倍にする必要がある。
 2013年8月の魚町サンロード定時総会において、上記のことを説明し総会に可否を諮った。
 「私としては、アーケード撤去でも撤去しなくても結構です。但し、撤去しない場合は、組合費を3〜5倍にしなくては維持管理できません。私自身は撤去した方がよいと思います。撤去しないという方針が採択された場合、私は理事長として不信任されたものとみなして、辞任します。アーケードの維持管理は新しい理事長の元で、組合費の値上げも含め事業運営してください。」
 その結果、アーケード撤去が、反対1名、その他全員の賛成で承認可決された。何事にも反対はある。アーケード建設に反対した人が、撤去にも反対するということ結果になった。
 アーケード撤去事業の予算計画は、以下の通りだ。
総事業費        28,772.000円
 内、まちづくり補助金 17,266,666円
   北九州市補助金   2,301,066円
   自己資金(銀行借入)9,474,268円
銀行借入(北九州銀行)10年返済
   元本 月額86,000円

5.歩いて楽しい公園のような通りを目指して
 アーケードを撤去することは決定したが、カラー舗装が現在のままでは雨が降るとすべりやすくて危険だった。公道なので北九州市が整備してくれるということになり、小倉北区まちづくり整備課に相談するとアーケード撤去後は、アスファルトの黒舗装になるという回答だった。それでは、自動車がバンバンと通り過ぎるようになるし、またショッピングストリートとしてはふさわしくはない。そのため、小倉北区まちづくり整備課と交渉を繰り返し、整備課長の移動もあってようやくインターロッキングによるカラー舗装に決定した。
 それだけでなく、カラー舗装のデザインをお願いした神奈川大学の曽我部昌史先生の協力を得て5回のワークショップを開催し、アーケード撤去後の商店街のあり方について議論を重ねてきた。
 ワークショップの内容は、以下の通りだ。
1.今、これからの魚町サンロード商店街に残したいもの・必要だと思うもの
2.今後の魚町サンロード商店街のビジョンとよりみち市について
3.魚町サンロード商店街の灯り・照明について
4.魚町サンロード商店街の通りの緑化について
5.これまでのワークショップの総括と撤去工事の説明会
 また、アーケード撤去工事は、2015年7月より開始し、9月には撤去を完了した。その後、上下水道工事を経て、 2016年7月22日、魚町サンロード商店街のカラー舗装・緑化工事は完了した。
 同年8月20日には、魚町サンロード商店街内において北九州市長、小倉北警察署長を招待して、カラー舗装完成記念式典と公道上を活用した子どもファッションショーを開催した。

6.カルチェラタン構想から国家戦略特区へ
 アーケードの撤去、カラー舗装の整備、一部緑化した後の魚町サンロード商店街のにぎわいづくり・活性化構想として「魚町サンロードカルチェラタン構想」を考えた。それは、「歩いて楽しい公園のような通り」を超えて、パリのセーヌ川左岸5区・6区のような若者の集まる芸術性にあふれた街の構想だ。その前提として、社会実験的に公道上でのオープンカフェを始めた。そのうち、北九州市から声がかかり、2016年3月、北九州市長とともに内閣府の「国家戦略特別区域会議」に出席して、道路空間を活用したにぎわいづくり(エリアマネジメント)を提案し、4月には戦略特区の認定を受けた。
 北九州市建設局道路部道路計画課の担当者と協力して、小倉北区役所のまちづくり整備課の道路占有許可、小倉北警察署の道路使用許可を申請した。
 国家戦略特区の認定を受けたとしても警察の道路使用許可については、規制緩和されたわけではまったくなく、なおさら厳しくなったといっても過言ではなかった。それまでの魚町サンロード「よりみち市」では、道路の両側にブースを出すことが可能だったが、国家戦略特区の認定を受けた後はそれが不可能になり、道路の片側のみしか許可してもらえず、緊急車両が通行できる幅4mは確保しばければならなくなった。
 その上、当初提出していた事業計画を変更することが非常に難しく、歩行者専用道路の終了時は22時ながら、20時と決められた営業時間を延長することやブースを増やすこともなかなかできず、申請も北九州市は半年毎に提出し、道路占有料も不要なのに対し、小倉北警察署には道路使用許可申請を1ケ月毎に提出しなければならない、道路使用料も減免されないことなど、国家戦略特区に認定されたとしても従前とそれほどの相違はないような有様だった。
 しかしならが、201年5月より始めた夜市は、非常に好評で夜の人通り・にぎわいは甚だしく、夜市に出店した店舗の売上も好調で、魚町サンロード商店街内の飲食店も売上も増してきていた。「クッチーナ・ディ・トリヨン」の売上は、4月対5月比で文字通り2倍なった。

7.リノベーションまちづくりの発祥の地として
 魚町サンロード商店街は、2011年6月に「メルカート三番街」がオープンし、全国各地に展開した「リノベーションまちづくり」の発祥の地だ。10年以上空き店舗になっていた遊休不動産をリノベーションし、40歳以下の若手のクリエイティブな経営者に賃貸することで、空きビルを再生した。
 遊休不動産を建て替えるのではなく、リノベーションすることで改装費を安く抑え、それを家賃に反映させる。商店街が本来持っていた起業の場としての役割を復活させ、若手起業家を呼び込むことで商店街の新陳代謝を行い、それにより新規顧客を獲得していく。
 そのプロセスをリノベーションという手法により起業家が必要とする家賃が払えるだけのスペースを小さく小分けして用意し、テナント先付け方式により不動産オーナーのリスクを出来るだけ最小化する。それが、「リノベーションまちづくり」の根幹だ。
 魚町サンロード商店街の一角から始まった「リノベーションまちづくり」が、リノベーションスクールを通じて全国50ヶ所以上に展開し、中心市街地の活性化・商店街の再生に一定の成果をもたらしつつある。

8.終わりに
 日本の商店街は、空き店舗の存在に苦しんでいる。巷間言われているように商店主たる不動産オーナーが貸す気がないからだというのではない。相続により不動産が共有化されて、共有者の中で意思がまとまらず、貸したくても貸せない状況なのだ。
 しかしながら、パブリックマインドを持つ不動産オーナーと建築家・大学教授などが連携してリノベーションまちづくりを行うことにより空き店舗の存在を解消できることは、全国の事例中で証明されつつある。
 現在の日本の商店街の最大級の問題は、老朽化したアーケードの改修・撤去資金の問題と商店街組合に加入しない店舗が増えているという問題だ。これら解決しがたい問題が、商店街の商店主の前向きな意欲を削ぎ、シャッター商店街を次々生み出しつつある。
 日本のアーケードの多くは、昭和40年代の高度成長時期に建設されている。建設後50年以上が経過して、老朽化が進み全面的改修の時期を迎えている。アーケード上に受電設備が載荷していることから電力会社から耐震改修やアーケードの撤去をを求められることも増えてきた。アーケード改修にかかる補助金がほぼない中で、アーケード建設のために設立された商店街組合は、辛苦している。
 魚町サンロード商店街は、補助金を得てアーケードを撤去したとはいえ、規制緩和により公道をオープンカフェに貸し出すことにより、アーケードの撤去費用の銀行借入を償還している。また、アーケードを撤去したにもかかわらず、従前のアーケード維持費と同額の組合費を徴収し、カーラー舗装・緑化部分の維持管理を行っている。これは、日本版BIDシステムにつながる動きであるとともに、非組合店の存在に苦しむ商店街組合の助けになるであろう「地域再生エリアマネジメント負担金制度」の先行事例ともなり得る存在に移行していく可能性を秘めていると構想している段階である。

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